TOPへ 前へ
柳谷観音
 柳谷の観音さんは、正式には「立願山楊谷寺」と称され、長岡京市浄土谷堂ノ谷2
にある。
阪急「長岡天神」駅から西に約5Kmの山の中にある。
徒歩で約1.5時間程の絶好のハイキングコースになっている。
毎月17日が縁日で賑わっている。最近は6月には「あじさい祭り」が
長岡京市挙げてこの寺で催されている。     写真クリックでアルバムへ     
<概略>
・806年延鎮僧都により創建。(寺伝)
・2代目は空海であった。 (寺伝)
・本尊:「十一面千手千眼観音菩薩」。
・「独鈷水(おこうずい)」伝説。・眼病治癒。  ・霊元上皇のバックアップ。
・中御門天皇のバックアップ。
・洛西観音霊場第10番札所。
・西の清水寺。
量空是海?(1693頃入山)による中興。
・柳谷講  幕末以降急増。各地の講数
山城:45,大和:44、近江:15,大坂:38、河内:49,摂津:85、
京都:22、その他:23
・現在は西山浄土宗光明寺の末寺。
・光明寺の末寺になった時期は不明だが、1693年の少し前くらいと推定される。
理由は、量空是海という僧の名前(浄土宗の僧名?)から判断。
(長岡京市教育委員会:百地氏)
 
延鎮僧都>(ー821)
・奈良の小島寺(子嶋寺;760年報恩大師創建;奈良県高市郡高取町観覚寺)の
報恩大師*の7番目の弟子。名を「賢心」という。
・778年霊夢で山城国愛宕郡八坂郷東山に行き、そこで行叡居士
(生身の観音菩薩と言われた)と出会い,この地に草庵をつくった。
これが現在の「清水寺」の起こりである。
その後坂上田村麻呂と縁が出来、播州清水から勧請した十一面千手千眼観世音菩薩を
自ら刻み安置。音羽の滝の清水にちなんで寺名とした。
最初は坂上氏の私寺として始まり、後「勅願寺」となった。
「賢心」はこの寺に住して「延鎮」と改名した。奈良仏教の京都での拠点となった。
その後小島寺住職を兼任。
・法相宗(奈良六宗の一つ)の僧。
清水寺は興福寺法相宗に属していたため比叡山と対立した長い歴史がある。
空海(元々奈良仏教)とは近い関係にあったらしい。
・806年霊夢により京都西山柳谷に行きそこに観音霊場として楊谷寺を創建した。
・謡曲「田村」小島寺の僧「延鎮」として記されている。
 
報恩大師
・752年岡山県にある最上稲荷開基。その他岡山県に48寺を開基したと云われている。
仙人的扱いを受けている。
 
霊元天皇(1654−1732)
@父:108後水尾天皇 母:園 国子(権大納言園基音女)
A112代天皇 中宮:左大臣鷹司教平女房子(姉は徳川5代将軍綱吉室信子)
子供:113東山天皇(母:内大臣松木宗条女宗子)他多数。
B院政を敷いた。
中御門天皇(1701−1737)
@父;113東山天皇 母;櫛笥賀子
A后;近衛尚子 子供;桜町天皇他
B114代天皇
C徳川8代将軍吉宗の頃。徳川家との関係良好。
 
 
<系図解説>
@後陽成天皇の弟が八条宮智仁親王で、長岡天神の八条が池を構築された。
A霊元天皇は、長岡天神の支援者であり、柳谷観音の支援者でもあった。
B中御門天皇は、霊元天皇の孫で柳谷観音の支援者となった。
C後水尾天皇は、妃として徳川2代将軍秀忠の娘和子を迎え、その娘明正天皇は、
奈良時代の称徳天皇以来の女帝となった。
D東山天皇の子供直仁親王の流れから明治天皇が出られ現在に繋がっている。
<参考文献>
乙訓寺の項と同じ。