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世界遺産「九寨溝・黄龍」の旅

 写真の好きな者が一度は訪れて見たいところである中国四川省にある世界遺産「九寨溝・黄龍」
へ旅した。多くの旅行社が色々なメニューを提案していた。出来るだけ紅葉のシーズンを選びたかった。
しかし、国慶節の関係で10月になると非常な混雑が予想され、それを外したぎりぎりの選択をした。
年齢も考え出来るだけゆっくりのコースを探した。行き先は欲張らず、九寨溝・黄龍だけに絞った。
K旅行社の「深山幽谷・神秘の九寨溝・黄龍6日間」を選んだ。
期間:2007年9月12−17日
コース:関西空港ー広州ー重慶ー九寨溝ー黄龍ー重慶ー広州ー関西空港
内容:
9月12日ー関西空港ー広州ー重慶ー「川劇鑑賞」ー重慶泊
9月13日ー「重慶観光」ー九寨溝空港ー九寨溝泊
9月14日ー「九寨溝観光」ー「チベット民族舞踊鑑賞」ー九寨溝泊
9月15日ー「九寨溝観光」ー黄龍泊
9月16日ー「黄龍観光」ー九寨溝空港ー重慶泊
9月17日ー重慶空港ー広州ー関西空港
持参したカメラ:NIKON D50 18−200mm望遠レンズ付き
デジカメ一台
期間中の撮影枚数約1,500枚。
三脚は用意したが、利用出来なかった。
ツアー同行者:全員で9名+添乗員(現地では日本語ぺらぺらの中国人ガイドがついた)
同行者の多くが写真愛好家であったので非常に仲間に恵まれた、実に楽しい旅であった。
JL606便はほぼ定刻に離陸した。
間もなく私の故郷尾道の上空を通過。
なんとか撮れた。
広州空港で先ず驚いた。
3年前に出来た超近代的な広大なハブ空港である。
今後はここが中国南部の中心になるらしい。
ここで入管手続き完了。
重慶への乗り継ぎの時間を利用して空港併設の
ショッピングセンター見学。
ご婦人方は不満顔。余りに中国的雰囲気から脱却出来ていないから,らしい。
一昔前の日本の土産屋感覚の店多し。
トイレは新品だが、扉の鍵の多くが壊されているなど。
空港近辺は超近代的高層ビル林立。
道路は片道2車線の新品。
予定より一寸遅れて重慶着。
ホテルに入る前に四川料理の夕食。
夕食後全員で四川名物「川劇」を見物。
テレビでは見たことがあるが本物は初めて。
どうにかして仮面を替える瞬間をカメラでとらえようと
連写も駆使して挑戦したが、残念ながらとらえることは
不可能であった。それ程の早業である。
これだけで数百枚撮った。
以上が初日9月12日であった。
9月13日は生憎の雨模様で降ったり止んだりであった。
午前中は重慶市内観光。
「磁器口」という古い町並み保存地区へ行った。
重慶旧市街は3,000年の歴史がある。
ここ数年の近代化の嵐のなかで、古い町並み、家々は
次々と取り壊され、30階以上の高層アパートと、道路に
変身している最中である。
ここはその中で数少ない保存地区なのである。
「嘉陵江」という「長江(揚子江)」の支流に面した港町が
その前身らしい。今は完全な観光地で土産物の店が
並んでいた。
この建物こそ中国共産党と国民党が日本軍に反撃を
開始した重慶司令部である。
「毛沢東」も「蒋介石」も、ここでは手を結び対日抗戦の隠れ家的司令部をこの山奥の農園の中にカモフラージュしてに造り、全国に指令を発したとされ、現在は全国の子供らが、記念館として訪れ、共産教育のメッカ的存在らしい。
こちら側が、重慶の観光拠点・山峡下りの拠点「朝天門」である。川は長江である。
直ぐ左に支流である「嘉陵江」があり、ここで合流しているのである。右が上流である。
重慶はこの2つの川に挟まれた半島状の所が中心街である。勿論向かい側も重慶市である。
旧市街の人口が700万人、重慶市では、3,000万人というからおったまげた。現在は中国に幾つかある直轄市だそうだ。通常の市は、各地の省に属するが、重慶市は、国から格別の扱いになっている。3年で街の様子がすっかり変わるようだ。重慶でも一日に1億円稼ぐ人、一月に1億円稼ぐ人も
珍しくないらしい。平均賃金は1万円ほど。3,000円しか収入のない人々も多数いる。格差なんてもんじゃない。
ここが3年前に出来た「九寨・黄龍空港」である。
3,500mの無人の高地に3,000mの滑走路を有する
空港を造ったのである。
目的は世界遺産「九寨溝・黄龍」の景勝地を観光にくる
中国内外の観光客用である。国家の威信を賭けた大事業
が展開されているのである。
この空港を挟んだ形で九寨溝と黄龍がある。それを結ぶ
素晴らしい道路が合わせて100km以上整備された。
その道路の沿線にはチベット族の小集落が点在するのみである。道路を走っているのは両観光地目的のバスだけ。たまに小さなガタガタの農業用の小型トラックが超スローで走っていた。乗用車はまず走っていない。
のんびりとチベット族がヤクを連れて道路を渡っていた。
どこまでもこんな景色である。
約1.5時間かかって九寨溝のホテル街についた。この一角
だけは別世界である。
我々はここで唯一の5つ星ホテル「シェラトン」に泊まった。
さすがに総ての設備は満足すべきものであった。
ここで2日目終了。このあたりで標高2,000m以上。
後頭部が一寸痛む。空港からは、水ばかり飲んできた感じである。中国では水道水でも飲むなと言われ、総てペットボトルである。歯磨きもである。
高山病防止には水を飲むのが良いらしい。
9月14日 天気が一番気になり、朝起きると一番に空を見た。
快晴である。
全員るんるん気分でいざ九寨溝へ出発。
ホテルからバスで入り口の駐車場まで直ぐである。
そこから九寨溝入り口までには、先ずチベット族による土産物屋のテントの中を絶対に通るように仕組まれている。
凄い客引き合戦である。
左が九寨溝から流れてきた川。右は一般の川。
これほど明確な差が見える。
九寨溝の水はどんなに雨が降っても一年中濁らないとのこと。
国家管理による九寨溝公園事務所・ゲイト・公園内専用バス。ここから先は入園料がいる。
外国人はパスポート提示が必要。ゲイトでは顔写真が撮られる。これがないと2日目に入園出来ない。
我々は朝早かったので比較的スムーズに入園できた。
入園手続き待ちの観光客が続々と広場に集まってきて
いた。日に1万人以上は入るらしい。国慶節シーズンになると人で埋まるそうだ。紅葉には一寸早い感じ。
我々はチャーターバスでこれから広大な公園を観光する。
九寨溝とは、9つのチベット族の集落がある谷。という意味らしい。谷は「Y字」の形になって存在している。
我々は一日目午前にY字のV部の右半分(日則溝)を午後左半分(則査窪溝)を観光。2日目午前にY字のI部(樹正溝)を観光することになっている。最高地点は標高2,600mくらいだ。名ガイドのお陰と天気に恵まれゆっくり写真撮影に専念できた。
最初が「鏡海」
朝早いと風もなく見事な鏡面であった。
数十枚の写真を撮った。光の具合で湖水の色
が百変化する。空は快晴。
素晴らしい。
次が「五花海」である。ここではウオーキングをしながらの撮影。
九寨溝では「海」の名が付いた湖水が多い。昔チベット族は本当の海を一生見ない人が多かった。
そこでこのクラスの湖水には総て「海」という漢字をあてたとのことである。
最初の滝「熊猫(パンダ)海瀑布」
滝の撮影は難しい。三脚を立てる時間的余裕なし。マニュアルモードで絞り22で1/15−1/50で撮影。
手ぶれ多し。
「箭竹(ヤダケ)海」
ここの水の色は正に写真のようでであった。風もなく鏡面。
「芦海」
ここでは一足早く秋が見えた。
「原始森林」Y字右の一番奥である。標高2,600m付近。バスはここまでである。
バスを降り、約1時間のハイキングである。
歩道は完全に整備されており、日本でも一寸お目にかかれ
ない程立派であった。植生保護の目的でこの木道以外には
一歩も入れない形になっていた。
後述する黄龍も同一やり方で、中国国家の意気込みと
意地を強く感じた。はんぱではない。
バスの終点では、チベット娘がモデル料金を取って
観光客の前でポーズ。
道沿いには多数の高山植物が花を咲かせていた。
日本の高山で見るのとよく似た花も幾つかあった。
我々のバスに同乗していたチベット娘。
服装を時々替えて我々の目を楽しませてくれた。
ここからが一つのハイライトである「珍珠灘・同瀑布」である。日本語でいう「真珠」を意味するらしい。
幅が100m以上の灘状になって真っ白な真珠の玉のような水が流れており、その先が滝になっているのである。
この滝は素晴らしいものであった。
色々の角度から撮影出来た。
高さは50m以上はあったと思う。
昼食後V字の左側に入った。
ここがその終点「長海」である。
その直ぐ下にある「五彩池」である。ここだけは小さいせいか「池」となっていた。
ここも名前の如く水の色が場所・光線の具合で美しく変化した。
この日の観光も終わり、ホテルで食事後ホテルの別棟で「チベット民族舞踊団」の群舞を堪能した。
大きな劇場でのフラッシュなしでの撮影は、望遠レンズが
威力を発揮した。
恥もなく、舞台の真ん前まで行き美しい娘たちの
群舞を撮った。
甲高いこの地方独特の歌声は印象的であった。
9/15/07九寨溝2日目の観光はY字部のI部である。バスで何度も通った所である。
九寨溝最大の滝「諾日朗瀑布」
ここは朝がいいと、現地ガイドT氏お勧めの時間帯に
行った。本日も快晴である。
ここから約2時間のハイキングである。
私は常に我がグループの最後尾をキープして
写真撮影に没頭。
数百枚撮ったと思うが、ここから下はのんびり川の両方
の景色を見ながら、色々色が変化する湖水の水を
楽しんだ。途中休憩所があり、そこに公衆電話が設置されていたのには驚いた。中国の観光客は殆ど携帯電話を
持っており、大きな声でお互いに連絡を取りあっていた。
この人里離れた山奥でも携帯電話の通信が出来るように
している。これもここの観光客が半端な数でないことの
現れである。
この電話から下の数Kmのハイキング道を歩く観光客は非常にまばらであった。
非常に良かった。九寨溝の美を満喫出来たハイキングであった。
川の上に張ってある色々な色の旗のような物はチベット族
がここに住んでいるよ。という象徴的な宗教的な物である。

ここがバス道とハイキング道の合流点。
チベット流の水車みたいなものがあった。

この後公園内の唯一のレストランで昼食。
昼食後、日本語を話すチベット村の村長さん(写真)の店で
土産物を買う。

このあたりの屋根瓦は、興味を引いた。
「樹正群海」・「大花海」・「盆景灘」などを観光した後、九寨溝を出発。

空港の近くからさらに「川主(センシュ)寺村」のホテル街を通り、本旅行の最高標高地点4,000mの峠を越えた。ここでバスの中で酸素ボンベを購入。800円ほどであった。写真で雪を被った山「雪宝峰」は5,588mでめったに見られないそうだ。そして夕方「黄龍」で一番大きいホテルに着いた。ここで標高3,000mくらいである。また後頭部が痛くなった。
ここでは、ぬるい湯が出るのが2時間ほどしかない。まともな風呂にはならない。明朝は早い。早く寝ることにした。
9/16/07 朝8時にはゴンドラ乗り場に来た。一般客が乗らない早い時間に山に上がれるとのことでである。
ここでもパスポートがいる。多くの観光客はホテルの近くの登山道を歩いて登るらしい。
このゴンドラも出来て間もなしの新品であった。入山料も含め日本円で約5,000円はするらしい。
現地の人にとっては非常に高価である。
生憎の霧である。でも雨ではない。ゴンドラ頂上より最高点「黄龍古寺」まで約3Kmの木道のハイキング道である。
標高3,000m以上なので亜熱帯とはいえ広葉樹は紅葉が始まっていた。こりゃあ期待できるぞ。
「黄龍古寺」の裏手が最大の景勝地である「五彩池」である。
ガイドのTさんが「霧が近づいているよ。早く五彩池を見て下さい」と我々最後尾の者達に知らせてくれた。
いやあ、素晴らしい。空は曇っているのにこの淡い青さ。何ともいえない自然美である。
霧にけぶる黄龍古寺も素晴らしい。酸素ボンベを吸いながら3,600mまで登ってきた甲斐はあった。
九寨溝とは異なった水の色である。そして石灰岩のなせる何千年もの自然のなせる業。
テレビでも何度も見たが眼前に見る素晴らしらは、言葉にならないものである。
はたせるかな、木々も色づき私の期待は叶った。
ここまでが「五彩池」である。数百枚撮ったであろう。
ここでも私が最後まで粘っていた。
添乗員のM嬢が付き合ってくれた。
時間はたっぷりある。ホテルに12時45分に帰れば
良い。後は約2時間歩いて下って行けばよい。
距離は約4Km程である。
幸い雨にはならなかった。霧の黄龍もまた風情があって
良い。家内とM嬢は先に下った。
ここからは私一人でポチポチ撮ることにした。
ゴンドラへの道ではなく、登山道の下り道にも多くの
素晴らしい自然の匠が造った池と灘と滝が連続してある。
これが最後の滝である。
感動の思いを胸に「黄龍」を後にした。
午後空港へ向かい1時間遅れで重慶につき、夕食はとても
辛い四川鍋。ホテル泊。

9月17日重慶空港から広州に飛び、この五星紅旗をあとにして関西空港に飛び立った。
約2時間ほど予定より遅れたが、全員無事到着。
実に楽しかった6日間の旅を終わった。
私は中国は初めての旅であった。家内は4度目なので過去の中国とのある程度の比較が出来る。
特に重慶は2度目である。その変貌ぶりに驚いていた。
過っての日本もそうだったのであろうが、3年くらいのピッチで変貌する大都会。
四川省の田舎は、飛行機から見た感じ、バスで走った村々の姿、恐らく数十年前いや数百年前と大差ないのであろう。
共産国家中国は、今世界で初めての経験をしている最中である。
もう後には戻せないであろう。
我々日本人も十分注目していく必要大である。と痛感した。